戦争の傷跡、登戸研究所の見学に行こう

今日はちょっと重いですが、明治大学生田キャンパス内にある登戸研究所を紹介します。

登戸研究所(明治大学生田キャンパス内部)
住所:神奈川県川崎市多摩区東三田1丁目1
開館時間:水曜日~土曜日、10時~16時
電話番号:044-934-7993
おすすめ度:★★★★
●戦時中、このような研究がなされていたというのは驚き、かつ悲しさを感じました。負の遺産ですが、一度は行ってみることをお勧めします。月に数回ツアーがあり、ガイドが説明してくれますので、電話で予約をするとよいでしょう。

明治大学内部に登戸研究所があるのですが、実際は逆で、戦時中登戸研究所があった場所、跡地を戦後、明治大学が買い取り生田キャンパスを作りました。登戸研究所に電話をすると、ある日の土曜日13時からツアーがあるとのことで申し込みました。ツアー代金は無料です。

土曜日は学食が開いています!学食はボリューム満点でテンションが上がります。
この日はカレーライス大盛り(400円)を頼みました。ちょっと後悔するくらいの大盛りでビックリ!普通盛りのカレーライス(200円)で十分だなあ。おいしかったです。

登戸研究所の職員の方がガイドをしてくれます。明大キャンパス内に登戸研究所に関連したものが多数あり、歩きながら、ガイドさんに説明をしてもらいます。
当時使用していた消火栓。消火栓の文字の上の1つ星は陸軍の象徴だそうです。

明大の学園祭の時には芸能人などが来て盛り上がる広場の前です。

ちょうどここに旧登戸研究所本館があったようです。

ここから歩いて裏門の方に進みます。
大きな石碑は動物慰霊塔です。当時は強力な電磁波を兵器として使用できるかの実験をしていて、その犠牲になった動物たちの慰霊塔です。名付けて「怪力光線」!!すごい命名。。。。高台にあるので、ここから電磁波を発射していたようです。おっかないですね。。。

校舎内を横断し、生田駅側、正門の方に歩くとキャンパス内に弥心神社があります。小さい神社です。

当時の研究所院はエリートたちでした。陸軍所属と言っても、研究者たちなので上下関係はあまりなく、のびのびと研究ができたとのことです。また、当時はご法度だった英語も使うことができ、英語の論文を取り寄せることもできたそうです。

さっきカレー食べた学食の前にも当時の消火栓がありました!見逃してましたよ。

農学部の方に、登戸研究所の資料館があります。その裏手にある弾薬庫です。立ち入り禁止。。。昼間でもおっかない雰囲気です。
約1時間ほどのガイドが終わり、ゴールは登戸研究所の資料館です。当時は木造でしたが、建て替えられました。木造のままの方があじがあるので残念。


登戸研究所は、第一科、第二科、第三科から成り立ち、それぞれパネルや写真による説明や実物の展示があります。

第一科では当時、電波やレーダーなど物理分野の研究から風船爆弾の研究。
第二科は、生物兵器、暗殺用などの毒物、スパイ機材などの研究開発。
第三科は、偽札の製造。目的は、偽札を流通させてインフレーションをもたらし中国経済を混乱させること。。。

どれも恐ろしい研究ばかり、現代の北●●の国のようです。。。。

最盛期の1944年には、敷地11万坪、建物100棟以上、幹部所員250名、主に近隣から動員された一般の雇員・工員などを合わせると総勢1000名にも達する大規模な研究所・秘密兵器生産工場になっていたそうです。かなり大きな研究所でした。

風船爆弾は、和紙をこんにゃく糊で貼りあわせた気球に水素ガスを充填し、その下に高度維持装置と焼夷弾などの兵器を吊るしたもの。こちらは和紙で風船爆弾の表面を作っていた時の再現。女性たちが作っていたようです。

偽札の製造の様子。ここで製造した偽札は全体から見ると1%未満の発行残高に留まり、中国経済に与えた影響は少なかったとのことです。登戸で中国紙幣の偽札を作っていたとは、、、、驚きですね。

当時の資料を保管しています。

スパイ活動をしていた第二科、写真を現像する暗室。暗室の入口はクランク状の通路で、光を入れない設計になっています。

他にもビデオ上映や色々な展示がありますので、実際に行ってみてみてください。帝銀事件の展示もあり、勉強になりました。真犯人は登戸研究所関係者ではないか、という雰囲気がありました。帝銀事件については別途映画の上映会などもあり、興味深いです。

ツアーと資料館、合わせて2時間以上かかりました。いろいろと勉強になりましたが、気分は暗く落ち込んだ感じ。。。負の遺産が登戸にあるということで、みなさんよかったら一度行ってみてください。

最新情報をチェックしよう!